非日常への探究心と欲求
人は毎日同じことを繰り返すことを自ら強いながら、どこかで同じことを繰り返す自身に疑問を抱いてるんだろうなと、最近は常々感じている。
人はすぐ「安定」という言葉を使うが、安定の向こう側に非日常的刺激を求めてる。たぶん、いつでも。
なんてワガママな生き物だろう、と思う。
ある人は狼になりたかった、ある人は悪魔になりたかった、ある人は誰かの真似をしたがり、ある人は一人旅が趣味だったりする。
どれも、寝て起きて仕事して(或いは学校行って)寝て、”それ以上”を求める故の行動だと思う。
その為には「安定」が「前提」となる。
安定の上にこそ、非日常を求める権利が生じるのだろう。
非日常を求める権利。
そもそも、その言い方は正しくないのかもしれない。権利は誰にでもある。
何かに秀でてる。
人は必ず。
なぜ断言できるかというと、細分化されたスキルの数より、人間の数の方が少ないからだろうと思う。
ワガママさえ言わなければ、なんらかの要素で誰かより秀でてることは、必ずあるはずだ。「ない」と言ってる人は知り得る要素の絶対数が少ないだけ、または探す気がないだけ。
より広い世界を見渡せば必ず自分だけの強さは見つけられる。と、確信してる。
広義で、それを「自分探し」というのだろうか。
世の中が不安定になって、なにを信じていいのかわからなくなってきている昨今だから。
普段の自分と違う誰か、何かに憧れる、そんなこともあるのかなって。
明日はいい曲ができそう。
それでは。