WebライターDaichiの日記帳

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生きるとは、何か≠消せない、罪だ

 

※この記事は今日のお昼12時に自動公開するよう設定してあります。

 

こんにちは、Daichi.Kです。
今日は僕が何を思い生きているのか、誰にというわけでもなく伝えていきたいと思います。

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最初に伝えておきたいのですが、また発作的な「情緒不安定」とは異なります。日頃から、思いながらそれでも押し殺してきた感情が瞬間的に浮き上がっただけです。今の僕には、こうして文字にして吐き出すということができます。アウトプットの重要性が感じられる今日この頃です。

 

★理解より察知

依然から思っているのですが、人は理解し合えるはずがない生き物だと思っています。冒頭で申し訳ないのですが綺麗ごとには興味がありませんので悪しからず。

世の中では「それぞれ違ってそれぞれ良い」など無責任な「個性」を良しとする一方で、人と異なる「個性」を「異端」と弾く習慣は抜けません。

不条理という言葉では薄すぎる理不尽さがこんなちっぽけな世界を常に支配しています。つまらない現実と定義できるでしょう。

僕はよく「あなたにこれが理解されないなら仕方ない、この話はもう終わりにしよう」と言います。これは夫婦間だけでなく、これまで生きてきて接してきた全ての人に放ってきました。

すると統計上80%以上の確率で「仕方ないで済ませるな」または「それを理解するために話し合おう」という進展を望む返答が返ってきます。

僕はそれがとても無駄だと思っているのです。相手の発言や行動が理解できないから衝突する、ではその問題となっている発言と行動の原理を解説すれば納得しますか?答えはNOでしょう?

だって理解できないからぶつかる。僕はこのパターンで「ああ、なるほどそういうことか。だったら仕方ないね」と和解できる条件を次のように定義します。

①勘違いで話が進展していた(片方または双方)
②勘違いを受け止められる余裕がある(双方)
③勘違いを認められる勇気がある(双方)

分析の結果、上記3つの条件が揃っていない場合、話が難航することはあっても解決することはありませんし、解決したいとは思いません。(3つの条件のうち一つでも欠落していれば解決することは絶対にありえません、これは過去の分析結果です、他の理論をお持ちの方は直接メールしてきて反論してください。daichi.k.work@gmail.comただし僕は返事しないと思います。反論に興味を抱ければ別の話ですが。)

解決したいと思えないのはなぜか?つまりは時間の無駄だからです。相手のことを理解するとか、そういう二次的で高度な対策よりももっと根本的な点に改善すべき点があるはずです。それは「相手は何が言いたいのか、その根源を察知すること」です。

察知するだけ?と思うかもしれません。そうです、察知するだけです。

★自分にはないが相手にはある

話を戻します。僕は世間のお偉い方が無責任にまき散らす「個性は大切に、みんな違ってそれがいい」みたいな言葉は嫌いです。反吐が出ます。吐き気を催します。吐血しそうですし笑えます。大爆笑です。最近のバラエティ番組よりずっと面白いです。

なぜか。それはその安っぽい言葉の中に含まれるいくつもの大きな矛盾が、結局何一つ解消されないまま、その安っぽい言葉を良しとする傾向にあるためです。

これを世間に対するヘイトと取るのは勝手にしてください、僕はそうした「みんな言うからそれが正しい」という大衆心理も嫌いです。正義とか平和は数じゃなくて信念にあると思うためです。喜んでスケープゴートになりましょう。誰の?いいえ、標的は常にひとつとは限りません。

まあ、ここまで読み進めてもたぶん、僕が何を言いたいのかははっきりしないと思います。僕はライターとして「伝えること」に主軸を置くべきです。しかしこの記事に限っては「物語」みたいに読んでほしいと思っています。

アーティストとして、僕はこの一連の発言に信念を置きたいと、それでもまだ思っているのです。まあその話は今度にしましょう。

この「自分にはないが相手にはある」は、一見して「みんな違ってみんないい」みたいに見えるかもしれませんがそれは言葉のトリックです。僕の思う「自分にはないが相手にはある」とはまさに文字通り、相手の思う事は自分には理解できないが、自分の思う事も相手は理解しないことを指します。

当然ですよね。だって相手は自分ではない別の個体なのですから。育った環境も違えば出会った人間も違う、仕事も違えば人生観も全く異なる完全に「別」と区分できる個体です。

そんな相手に理解してほしいだとか、相手を理解しているなんていう考えは常軌を逸しています。万が一、そう考えられる場面があったとしてもそれは相手を理解しようと努力した結果「察知できている」ことにすぎません。相手の判断は過去の行動凡例から分析された予想値でしかなく、結論は常にシュレディンガーの猫のよう、分離する見解に価値はありません。

箱を開いてみましょう。ほら、そこにあなたの思う「結果」が転がっている可能性は何%ですか?

この質問に100%と返答できない以上それは「理解」ではない「察知」だと認識すべきでしょう。違いますか?

★タイトルとの関連

さて、僕が柱としている「生きるとは何か」についてですが、これは人間が人間であり続けるための命題だと思っています。この命題については答えを導き出す必要性はありません。ただ、頭の端にあるだけでいいのです。

相手を理解できないなら察知する、それだけで世界は平和になるか、いえ争いはあってもいいと思いますが理不尽な争いには価値がありません。

僕が柱としているもう一つの要素それは「価値があるかどうか」です。口癖のように「無価値だからやめよう」とか「価値があるから話を聞こう」とか言いますけどこれ本音ですから。

本音を打ち明けられる相手にしか言いません。判断基準は「信頼度」です。数値化はしていません。

ちなみに僕が「生きる」と感じることは次のような要素が関連していることを指します。それ以外は無価値です。

①考える、知性がある
②感じる、理性がある
③進める、進歩がある
④悩める、命題がある
⑤選べる、自由がある

人は考えなくなったら生きてる意味を失うと思います。ここでいう自由は、何もしないとか何をしてもいいとかそういうことではなくもっと抜本的で根本的で建設的な自由です。小手先でごまかせない本当の自由が必要なのです。それは美しさであり雄大さであり、そして未来です。

この5つの項目に関連しないものに興味を抱くことは難しいでしょう。なぜ、僕はこの記事を書きながら泣いているのですか?なぜ?

★今、生きているか

僕のLINEのプロフィールには「生きるとは、何か≠消せない、罪だ」というコメントを入れています。これが僕の思う「生きること」について、このわずか31年の内に感じ取った最大限の結果でした。

消せない罪を背負う事が生きることではない、生きるとは前を見ることだと。

だから僕は過去に囚われない生き方を目指しています。なぜなら、僕は生きていたいからです。僕は、こうした考察と結論に裏付けされた理論しか信じられないにも関わらず、闇雲に人を傷つけ、そして裏切ってきました。

僕が僕であることを維持するために、これまで多くの嘘をついてきました。

僕は生きていますか?それはどこで確認できますか?

呼吸をして、言葉を放って、こうしてブログを更新して、生きてるに決まってるだろ馬鹿なの?と思われるかもしれません。しかし僕は問いたい、今僕は生きていますか?と。

何もできないなら、何も得られないなら、生きているのか死んでいるのかわかりません。僕は、故郷に思いを馳せることも、過去をうらやましがることも辞めました。過去の自分は輝いていた、では今は輝いていないのか、未来はどうなっている、いつ成果は得られる、どうなりたい、計画を提示できるか、音はそれを導くが僕の思考は追いつくか、詰めが甘いか、未来はどうなった、僕の思い描いた未来はどこに消えた、理想はどうした、希望も未来も失望に変えて、人を裏切り、多くの「友人だと思っていた人」から逃げ出した。

僕を虐めていた彼らは、今も幸せなのだろうか。人を虐めることでしか自分を保てないつまらない人間だと嘲笑っていた、でも今は彼らの方がまだ僕より人間的に優位だろう。僕の求めた「評価」はそんな理不尽を振り払うために最低限必要なものだった。誰でもよかったわけではない、僕は僕の一番大切な人に抱きしめられて、そして「頑張ってるね」って言われたい。それだけのために今日を生きて、明日を夢見て、それだけのために……。僕は何をしているんだろう。

 

どうして泣きながらブログを書いているの。自信に満ち溢れた僕はどこにいってしまったの。何をしても成功させる自信があった。かつての僕にあって、今の僕にない理由が提示できない。どれだけ再計算しても、結論がいつも違う。再計算して、再計算して、僕はいつも違う理論値の上を、誰かに認められたい一心で走り抜けてきた。それがどれだけつまらない生き方か、僕自身が一番理解しているにも関わらず。

★許されたい

僕は両親と祖父母、父親の弟(叔父)、そして妹のいる一般的な家庭に生まれ育ちました。叔父は僕が幼いころ、自分の病の深刻さを家族にも自分にも偽りながらやがて眠るように死んでいきました。僕が高校生のとき父親もいなくなりました。自由になりたかったそうです。そして父親は僕に「母と妹を頼んだ」と無責任にも消えていきました。父親の両親だった祖父母も、叔母の家に引き取られました。僕と妹と母親は、ただ取り残されてしまいました。知らない間に祖父母も死んでいました。

僕は、それでも彼は父親だったと。思いたかったんだと思います。思いたかった。だからあんな奴だと思っても、それでも父親の言葉だと思って「母と妹を頼んだ」と言われたことを一日も忘れたことはありません。

ただ家族を守りたい、その一心で高校を卒業してから必死に働くつもりでした。僕がいま、家族に対して思うことは、本当に申し訳ないことをたくさんしてきたという強い後悔です。今も尚、僕は家族を守ることも、自分の伴侶を守ることも、何もできていないことに強い焦りを感じています。迷惑をかけることはあっても、僕が何かしてあげることは何もありません。できません。できていないんです。

こうして、涙を流しながらブログを書いても尚、僕はどうしたらいいのかわからないまま迷子になっているのかもしれません。

ごめんなさい。僕は家族を守ることができずにいます。あれほど忌み嫌った父と、僕は同じことをしているのかもしれない。それを認められずに、立ち向かうこともできずに、本当に申し訳ないと思いながら今日いま何をするのがベストなのか模索しながら失敗しています。

妹が後ろ指をさされないように立派な兄でいなければならない。母親が苦労しないように立派な息子でなければならない。伴侶を悲しませないように立派な旦那でなければならない。僕はこの家の長男として背負うただこれだけの使命に対して、器が小さすぎたのかもしれないと感じてやみません。

その重圧から逃げるように、僕は「興味がない」と言うのです。前半で定義したルールは自分を守るためにすぎない。

全てに立ち向かうほど、僕は強くないんです。ごめんなさい。

★逃げ出すこと

ある人が「何かあったらすぐ逃げ出す、いいよね、逃げられるって」と言います。僕は逃げられない人より、逃げ出せるだけ恵まれているのかと思いました。

唯一、僕が誇れるものはなんだったのか。僕は何ができるのか。生きるとは何か。僕は何を使命として生きていけるのか。生きていけるのか。僕はどこにいるのか。何がしたいのか。自分の「こうしたい」に対して何もできないのか。無様にも程があって、ただ逃げ出すこともよしとしない。

彼ら以外は知らないこと。僕のふくらはぎを切りつけた彼、泥水に顔をつけて足で踏んできた彼、教科書をハサミで切ってきた彼、急斜面から突き落として鞄ごと田んぼに落とした彼、大きな溝の下を潜って歩かせた彼、学校の二階から突き落とされて腕を骨折した日も彼は笑っていた。

僕は家に帰って「自転車のブレーキがかかりすぎて、手をひねった。そして跳び箱で痛みが悪化した」と報告した。結果として、僕の手首は骨折していたけど、二階から突き落とされたなんてあの時に話していたらどうなっていたことか。

今だから言える。ずっと嘘をついていたこと。誰にも話していないこと。突き落とした彼しか知らないこと。笑っていたお前らも、お前らも、お前もだよ。みんな名前も顔もしっかり覚えてる。絶対に許さない。

でも。僕は父と同じだ。逃げ出した。あの時も立ち向かうことができなかった。今もそうだ。自分の詰めの甘さが窮地に追い込んだとしても、僕は立ち向かえないでいる。自分の蒔いた種さえ。回収できずにいる。

だから刃物が怖い。だから水が怖い。だから暗い所が怖い。だから高い所が怖い。全てあの日々をフラッシュバックするから。だから怖い。何もかも怖い。弱い。僕は弱い。

それを今は笑い話にできるからいいけど。何もできないこと、何ができるのと問われること。僕は、本当に弱虫だ。いつまで経っても、弱虫で泣き虫で、臆病だ。ここで俺が泣いて帰ったら母親は傷つくだろう、ここで俺が騒ぎを起こしたら騒ぎを起こした奴の妹だと指さされるだろう、ここで俺が同じことをしたら気違いだと蔑まれるだろう。僕は誰かのせい、何かのせいにして逃げていた。

笑っていたし、笑えない時も泣くことはしなかった。父親にも「お前は男の子なんだから泣くな」と言われていた。本当は恥ずかしいから言えないけど、僕はわりと従順に家の決まりに従うタイプだ。

歪んだ環境のせいにできれば、僕は僕のせいじゃなくなるのに、僕は一般的な家庭に生まれ育って、望むままに生きてきた。こうして泣きながらブログを書く未来は想像していなかったけどね。

ある意味で、僕はもう逃げ場を失っている。逃げずに戦えたらどれだけ立派だろう。あの日からずっと、僕は逃げてばかりだ。逃げてばかりだ。どうしたらいいんだろう。

コロナウイルス

このタイミングでパンデミックとは本当についていない。コロナウイルスの影響で生活が脅かされるなど情けない。僕はいったい、何をしているんだろう。職場は時短営業になっているけど、ライターでカバーできるだけの実力はあるはずだと思っていた。

しかしコロナ影響により副業ライター組は同様に仕事の取り合いに発展しています。僕はその競争に勝つために努力をしてきました。実際、取引は成功しつつありますが、これまで続いてきた依頼先の軸だった企業が休業になったりライターたちの案件の取り合いのため一人当たりの案件数が減少するなど深刻なダメージを受けています。

僕はこのことを伴侶にどう伝えればいいのでしょうか。ライター、ライターと時間を確保し、必死に営業をかけて、必死になって記事をかいて……

 

ひとつも、たったひとつも、報われない。

 

僕の人生なんて、そのほとんどが無駄だったのかもしれない。なんだか疲れてしまった。死ぬこともできない、あの日と同じ。状況は違うけどあの日と同じ。

 

僕を虐める彼らの悪意ある笑い声がフラッシュバックする……。

 

世間は冷たい。僕は無力だし、お金は回らない。このまま一生、僕はお金という命題に苦しめ続けられるだろう。努力したって無駄だ。努力は何も救ってくれない。僕を救済することができる可能性は伴侶から提示されていた。それは自身も認識していた。「自分自身がどうにかするしかない」のだそうだ。

僕はこの難しい課題に対して、人生すべて「逃げてきた」から、今になってどう立ち向かえばいいのかすらわからない。逃げることを良しとしないことは理解していた。僕は何もかも怖かったし、立ち向かうこともできないまま、この人生を終えていくだろう。

自分で自分をどうにかできるとは思えない、そのプロセスが思い浮かばない。

このまま死ぬ勇気があるなら、この記事を遺書にしてもよかったかもしれない。

その勇気もない。逃げ出しても、戻れる場所を失うだけ。戻っても、また怒られるだけ。誰も悪くない、僕が一方的に悪いだけなのだから。僕には立場もない、努力してきたつもりだったが努力の方向性を誤っていたのかもしれない。僕はどこに向かっているのだろう。ずっと泣きながら記事を書いて。何日もかけてこの記事を書いて。それでも憂鬱な顔をしないようにして。それでも笑って。笑ってほしいだけなのにね。僕は何をしているのだろうね。ごめんね。

★何もかも怖い

そんなこと言い始めたら何もできないよ、と言うかもしれませんが、この数年の間に僕はずいぶん弱りました。何もかも怖いのです。どの選択をとっても怒られる気がして。どの選択をとっても後悔する気がして。選択することが怖い。進むことも怖い。何もできない。と言うと「じゃあどうしたらいいのか」と質問されるのも怖い。だから言い出せない。今ここで言ってるよね、と言われるのも怖い。怖いんです、とにかく全部。僕がここに居てもいいのか、よくないとか、いいとか、そういうことじゃないんです。

 

どうしたらいいのか本当に教えてほしい。誰かに守られて生きるだけの人生なら、守ってくれる人の負担にしかならないから僕なんて要らない。

 

最近思うんですよね。「なにができるん」って言われたり「なぜできない」って言われたりすると、本当に無力だし無価値だなって。価値がないんだって自分で思ったらおしまいです。僕はそう思わないよう、思わなくて済むよう、努力してきました。

何をしても怒られるのだから、自分の人生をすべて否定されている気持ちになるかもしれない。なったとしても関係なく次にまた言われないように努力するだけ。それができる人って本当にすごいなって思う。僕にはできない。どうしたらいいのかそのプロセスがわからない。幼すぎるとか、考えが幼稚だとか、自分が一番理解してる。無表情で返事するのが精一杯です。自分という人生を否定される気持ちになってはいけないのに、そうなってしまう自分が何よりも嫌い。

当時、僕のふくらはぎをカッターで切った彼は言いました。「なんか、切って欲しそうやったから(笑)」と。そんな理不尽な言葉、今の僕ならふざけんなって言い返すでしょう。でも当時の僕は「やっぱり、そんな顔に見えた?そっか、仕方ないね、でもめっちゃ痛いわ、保健室いってくる」と言ったと思います。

家に帰って、僕は母に「どうしたんそれ」と聞かれました。その時、勇気をもって打ち明ければよかったのか、それが立ち向かうことなのかと葛藤したことを覚えています。でも僕は「体育で怪我をした、消毒してるし大丈夫、痛いけど」とだけ返事しました。

嘘ついてるんです。ずっと。それは相手を傷つけないためだと思っていましたが、いま考えると全部結局は自分を守るためなのだと思うと、バカバカしいです。

★キレイゴト

全部、きれいごとです。僕が一番嫌いな「きれいごと」です。自分自身が一番自分の嫌いなことをしています。自分が嫌いということは他人から見ても嫌いです。嫌なことをする人間は嫌な人間です。僕は僕を傷つけていた彼らと同じ「嫌な人間」です。怖くて打ち明けられなかった。一度こうして文字にして、そして何度も消して、これまで打ち明けなかった。怖かった。彼らのことも、自分のことも。怖い。怖い。怖い。って毎日思っていた。

メールが流行りだした頃、僕はクラスで流行り始めていたメール友達を募集する掲示板?で一人の女性と知り合いました。同年代で、わりと近くで、話も合うし楽しいなあって思っていました。当時、僕は6年片思いした相手に振られて2年経っていて、そろそろ普通に彼女欲しいなあって思ってました。

メール交換して楽しいなって思っていて、じゃ近いし会おうかって話になりました。向こうから会おうと切り出され、僕はJR近江八幡駅で待ち合わせていました。朝の9時から、結果的には19時までの10時間。結果、彼女は現れませんでした。

当時の僕は「何かあったのかもしれない」と何度かメールを追送したりしましたが、応答はありませんでした。疑わず待っていました。

途中、買い物に来たらしい同級生と会いました。何してるの?と聞かれて人を待っていると答えたとき、やけに楽しそうに笑ってるなって思いました。買い物がそんなに楽しいのか、こっちは人を6時間も待ってるんだと思いました。

 

ま、種明かししますと。その話しかけてきた同級生(男子)がその女の子になりすまして、僕にわざわざ接近してきてメールでその気にさせて、ただ「架空の女子が来るのを待つダイチ」を見て笑われていたっていうオチです。わざわざ待ちぼうけの僕を遠くからカメラで撮影したりしてね。

人を信じられなくなりませんか?あとからこの事実を別の友達から伝って知りました。僕はクラス中で「架空の女子を待つ寂しくて馬鹿な男子」と笑われはじめました。机にも「待ちぼうけ」「近江八幡駅」「彼女できた?」とか落書きを書かれ、面と向かって「彼女できた?いい感じの女子いたんやろ?」とか質問してくる奴もいた。女子も笑う。惨めだったし、僕を見てくる全ての視線が信じられなくなって、当然じゃないんですか?

嘘って、こんなに簡単に人を壊すんだって思った。だから僕は人を傷つける嘘をつきたくないと思った。思ったけど結果的に僕は人を傷つける嘘ばかりついている。

だからこそ、僕は結局報復することでしか自分を保てないんだって思った。自分がされて嫌なことは他人にするな、それは誰もが知っている道理ではなかったか。僕は実行できない。過去の思い出が、僕が素直に人を信頼できないようにしてしまったのかもしれないと思った。

僕と伴侶が出会った時、僕はあまり人らしい感情を持ち合わせていなかったと伴侶は話す。こんなことばっかりされて、小学校から高校まで違う環境で常にそういう目にあっていたら、このブログで明かすまでしっかり話したことほとんどないこの事実に、これらがあったから「それを許してくれ」とは言わない。言いたくない。でも、察知してほしいとは思った。

みんなそれぞれ、過去がある。嫌なこと、辛い事、僕はトラウマになってしまったことがたくさんあるけど、みんなにもあるはずだ。

僕が思うのは「そんな過去がありながらみんな普通に生きてるのすごくね?」ということです。僕はこの事実に対して耐えうる精神を持ち合わせていなかった。ごめん、本当に弱いと思う。これはみんな経験している一般的な経験だと思っているし、僕だけの特別な経験だとは思っていない。もっと酷い目に遭っているひともいると思う。思うけど、僕は耐えられない、あなたは耐えられる、その差は何か知りたい。僕は「僕自身がどうにかしなければいけない」という漠然とした情報しかない。それがどれだけ苦しい事か。

「全部言わなければいけないのか?言わないとわからないのか?」と問われると、いつも左腕が震える。左足も震える。いつも僕が攻撃されるのは左半身だった。不運な怪我も、骨折も、いたずらも、全部左半身。だから冗談でも殴るポーズにはおびえてしまう、ちょっと叩かれただけで痛みを感じる、人よりも敏感にその痛みにおびえてしまう。実際に痛いわけじゃないのかもしれない、でも脳が「ずっと痛い」と感じてしまう。冗談でも、腕を振り上げられると体が震える。

生きてる価値、あります?僕が他人の視点だったら別にいてもいなくても同じだと思うでしょうね。付き合うの難しいでしょう。もっと付き合うの簡単な人いくらでもいますよ。僕より魅力的な人だってね。

それを認められないのは、僕の欲しい評価そのもの。数値は裏切らないって言ってきたけどあれも嘘。数値だって裏切る。この世の中でお金は裏切らないとかいう人もいるけどあれも嘘。

 

この世界に「裏切らないもの」なんて、ないんだよ。僕はそれを知っている。

 

よくテレビで幼いころの心の傷がトラウマに、とかやってる。僕だって人より小さい傷かもしれないけど、トラウマを背負ってる。でもそれはあなたも同じことでしょう?どうして過去の傷を背負ってそこまで強くいられるの?僕はあなたのように強く立ち回れないよ。僕は弱虫だ。誰よりも弱いし、強くなれる未来もビジョンも想像できない。

ここまで9900文字で何も伝わらないかな。

ライターなのに、情けないね、文字で人の心を揺さぶることなんてできっこない。音楽も、文字も、お金も、仕事も、友人も、全て僕から離れていく。自分から離れていく。自分が駆け足で反対方向に向かっていく。立ち向かえない、全部怖い。

 

僕の居場所を自分で放棄してきた。興味ないと言って安心させたかった。

 

もう、いいよね。

 

頑張ったよね。

 

ごめんね。