カリスマなんて言葉、消し去ってやる
タイトルの言葉は何年も言い続けてますけど、本気で消し去りたいわけです。
どうも、こんにちはDaichiです!
かなり寒くなりましたね。20度を下回ると凍え死ぬ体質なので、誰か助けてください。
なんでカリスマって言葉が嫌いかと言うと、僕にないものだからです。僻みです。笑
欲しかったけど、欲しがって手に入らない唯一だと気付いた時、本気で嫌いになったキーワード。
凡人だと気付いた時、それでもいいから戦うと決めて、非凡なる人に対する僻みが本当に自己嫌悪ですね。
ネガティヴな記事に見えますよね。
でも違います。
みんなそれぞれ嫌いなキーワードがあると思うんですよね。僕は偶然カリスマって言葉が嫌いになっただけで。
嫌っている理由は其々でしょうが、どう立ち回りそのキーワードと戦うのか考えることは「生きること」と似てると思います。
僕の中の「生きる」とは「思い悩むこと」です。
「生きる」とは人間に与えられただけのものではありません。空を飛ぶ鳥さえも「どうすれば電線に引っかからず飛べるのか」考えて、進化したりします。どこまでを思い悩むと言うかにもよりますが、あらゆる生物が、何かあって「生きる」を選ぶのです。
逆に「死ぬ」は完全なる終わりです。来世も前世も僕は信じません。終わるのです、考えることも悩むこともなくなる、あらゆる数値を0にすること、それが死です。
よって、植物状態は死と定義したくない派です。
テセウスの船という話を知っていますか?
いまあるこの身体も「Daichiである」と定義できるのか際どいところです。細胞や思考は常に変化して、壊れて、創られる、その繰り返しの中でどこまでがDaichiなのか。
でも。
そんな小難しい話を度外視にしても僕らは「生きることを選んだ」わけです。
この想いは「旅人」という歌で綴っています。
”何十年、何百年、何千年の
気が遠くなる歴史の中に
名前も残らない僕らは
精一杯「生きる」ってことを選んだ”
カリスマ……所謂、英雄や教祖なんかが歴史に名前を刻むのと裏腹に、その歴史に何にも残らない僕ら凡人は「生きることを選ぶ」という最高の選択肢が残されてるんですよ。
怖くなるほど広くて深い世界の中に浮かぶことも沈むことも許されない僕らは。
さぁ。
今日もスタジオでたくさん歌ってきます。