僕は決して強くも、優しくも、ない。
こんにちは、吟遊詩人Daichiです。
いきなりですが、「素晴らしい詩」と「素晴らしい音」があれば、人は感動すると思いますか?
答えはYesだと思います。思いますが、最近はそれだけじゃ足りない、そんな気がしています。
ボーカロイドと、僕らシンガーと、何が違うのか。
「生きてる声」であることです。僕らは音を外しますし、僕らはリズムも乱します。
しかし、僕らは人間性も関わってきます。
全世界が涙する歌声と、全世界が震撼する衝撃的ギターテクを持つシンガーが、ステージから降りた後、実は幼女を誘拐して強姦した後、殺害して遺体をバラバラにして植木鉢に植えていたとします。
彼が唄う「愛」をどう受け止めますか?
今までと同じように感動する歌として受け止められませんよね。(歌は歌、シンガーはシンガーと分けてる考え方も理解できます。音楽はあくまで作品、その作者の個人的な状況と作品は関係ないという考え方は賛成です。ここではイメージの話です。)
逆はどうです?
歌声は後少し足りないものがあって、ギターテクもそんなになくて、不器用に、それでも必死に唄うシンガー。
人は「それは単なる練習不足」や「聞く価値がない」と思うかもしれません。わざわざ、あなたのその時間を割いて聴くものかどうか、選ぶ権利は誰にでもありますから。
……。
何が言いたいのか、ですね。
僕の唄は、決して万人を魅了するものに、到底足りていないということです。
この本文はここで終わりません。
ここで終われば、これまで僕を応援してくれている全ての人に失礼千万。
違うんです。
僕は決して、強くもないし、優しくもないんです。だから、もっと強くなりたいし、優しくなりたい。
僕は音楽で世界を変えたいと思ってます。
世界っていうのは、広義ですけど。具体的には「僕の声が届きうる範囲=世界」と言います。
よく出てくる話ですが。
誰もいない山奥で気が倒れたとして、その音を誰も聞いていない時、その木は倒れたと言えるのでしょうか。
あとから記憶や写真を見て比較して「倒れていなかったが、倒れている」と発覚するのは別として。
不思議なものです。
世界……いや、身の回りに干渉したくないと思っていても人は生きるうちに世界への干渉を余儀なくされます。しかし、干渉したいと思えば思うほど僕ら「音楽家」は世界に干渉できていないことを知るのです。
メディアに露出する「アーティスト」は、氷山の一角の一角の一角の一角。
僕が吟遊詩人だって認識してる人は、全世界の何パーセントですか?と言われたら計測不能と答えざるをえない程度の認識しか受けてない。
自分の知りえる、干渉しえる、世界はあまりに狭い。そこでギターを背負って必死に叫んだって、万人は僕を認識さえしない。
多くの「人間」の人生に「吟遊詩人Daichi」は関わりえないのだ。
僕はずっとそれを嘆いていたし、困っていた。知名度を上げるような行動を起こしていないけど、何から手をつければいいのかもわからないと。
だけど。
僕は吟遊詩人としての活動経路を修正することにした。すでに「聴いてくれている人」は少ないけど居てくれる。
大切にしたい。
これからも僕の唄に耳を傾けてほしい。
だから僕は唄う。
これまで聴いてくれる人がいてくれるように、そしてこれからも聴いてくれるように。
唄は世界じゃなくて、まずはあなたに干渉すべき距離感を知ったから。
あなたのために唄いたい。
ただそれだけだったんだ。
そのために僕は……
舞台を選んだりしない。
こんな場所から、唄うことしか、僕にはできないから。
夢を与えるより、希望を与えるより。
僕は……そんなに強くないから。与えるほど。むしろ僕に誰かから与えてほしいくらい弱いから。
聴いてくれるみんなと「一緒に、生きることについて考える」ことを共有したい。
それが僕の音楽だ。
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