なんでもない、つぶやき。
こんばんは。
Daichiでございます。
世の中は少しずつ師走に近づいていて、慌ただしいけどちょっと切ない季節になりました。
2016年にやり損ねたこと、やり忘れていたこと、皆さんはありますか?
吟遊詩人として全く活動してないじゃん!と、よく指摘される私です。
でも誰かのために唄ったり、自分のために唄ったり、僕は僕なりに無理のない歩度で活動していたりします。
一般的に「音楽アーティストが活動する」といえば、例えばライブをするとか、CDをリリースするとか、ラジオに出るとかそんな感じでしょうか。
でも、僕はもっと目に見えないところで自由に活動していたりします。
もちろん、アーティストとして、吟遊詩人として、僕はもっと人目につくところに打って出るべきであることは前提ですが……。
正直、今年はずっと何かに追われるような一年でほとんどライブ活動はできていませんでした。昨年のライブ数から見れば異例ともいえる少なさです。
しかし、しばらくライブハウスでライブしないうちに、あることに気づいたのです。
ライブハウスだけがステージの全てじゃないんだなー……って。
例えば隣で釣りをしている人に、例えば隣で歌ってくれる人に、例えば隣で三線を演奏する人に、聴こえる、そして共鳴できる、そんな音を奏でたい。奏でていたい。
唄いたくなった。急に、誰に望まれるわけでもない、僕の望むままの詩を。
和歌山で見た海は、前に見たときよりも大きく感じたし、深く遠く途轍もなく、しかし立ちはだかるわけではなく優しく包むような、だがしかし突き放すような、目視できない距離感と、目視できる地平線とが、自然と生み出した詩。孤独とは違うけど、なんだか小っぽけに感じた自身のサイズ感は、もう何もかもどうでもよくなる程のリアリティだった。アンビバレンスな、晴れる気持ちとと違和感のない畏怖だった。
僕のレベルがもう少し高ければ、ちゃんと奏でられたかな。吟遊詩人レベルがもっと高ければ。笑
吟遊詩人って、本来は物語や事象を奏で唄いながら世間を渡り歩き、後世へ伝えていく人のことなんだけど、石碑や歌碑なんかは完全に「後世へ伝えるためのもの」であって、僕ら吟遊詩人はそれを唄い伝えていくことも大切なことだと考えるよ。
……。
”僕ら”吟遊詩人。
僕ら?
他に誰が?と思ったそこのあなた。
僕にもわかりませんのでご安心ください。
僕らはその頑張り次第で、みんなに夢を与え、希望を与えることができる、アーティストだ。
しかし同時に、その夢も希望も、あっさりと打ち砕くこともできる。意図的にも、そして意図せぬ瞬間にも。
メジャーアーティストも、あんなにたくさんのファンがいながら法律を犯したりして、一気に失望させたりしてるけどさ。
僕らも規模は違えど同じことだと思うんだわ。
愛だの恋だの切ないだの震えるだの、僕には書けないそんな歌詞だって、たとえば歌ってる人が何人も何人も浮気してたりしたらどう?って。
……前にも書いたな、この内容。笑
まぁ、その。
夢や希望をあなたにFor you!ってのは、もともと得意じゃないから、捻くれた方法で、僕は僕の目に映るものを、そのまま唄ってるわけだけど……
ようやくCDをちゃんと作ろうと思ってたり、年内のライブはやっぱり厳しいかなぁと思ってたり、いろんなこと考えてて。
そんなの引っくるめて、僕らしく唄っていたいな。
……なんだこれ。笑
まとまらなくなってきたから、この辺で!
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