WebライターDaichiの日記帳

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誕生日を目前にして思う事

こんにちは、言ノ葉屋・黒猫堂Daichi.Kです。
そろそろ7月15日がやってきます。

 

何の日かって?
一般的には海の日ではないでしょうか。

 

でも僕の中では「Daichi.Kの誕生日」というイベントの日なんです。

別に何があるわけでもないんですけど、誕生日らしいです。

 

最初に言っておきます。今回のエントリーは「闇」が深いものになっています。ネガティブとか、そんな生半可な闇ではありません、書き終えて自分で読み返すのも苦労するような闇です。

 

闇とか言ってるエントリーに興味ない、という人は他のエントリーをお楽しみください。今回の記事はそういう性質であることを理解していただける優しい読者様、どうぞお進みください。

 

Daichi.Kはこんな風に考えて生きてるんだ、ってことが少しだけでも伝わればそれでいい、そんな記事となっております。

 

 

1988年7月15日、滋賀県草津市で生まれた私は、その後に蒲生郡(現・東近江市)へと引っ越します。

 

物心ついた頃に引っ越したので、草津での記憶は断片的です。

 

僕の人生は特に何も面白いネタがないので、昔話はこの辺にしておきましょう。

 

最近の僕の事情としては、Webライターとして活動しつつ独立する動きになっています。またしばらく休止していた音楽活動もゆるやかーに動き出した感じですね。

 

誕生日を迎えれば31歳になるらしいのですが、僕は年齢によってどうこう言うのも言われるのも嫌いです。とっても嫌いです。

 

「その年齢でまだ〇〇してるの?」とか、いったい何の問題があるの?という感じです。そもそも、そんなの余計なお世話です。この言葉そのものが昔から大嫌いです。

 

じゃああなたは今何歳で、年齢相応の何をしているの?と質問したこともあります。年齢相応の何かというほど何もしていない人がほとんどです、回答がちゃんと返ってきたことはありません。

 

つくづく、意地悪な性格だと思います。

 

そうなんです。最近すごく思うんですけど、ほとんどの物事にあんまり興味ないんですよね。でも一度「は?」と思い始めると、それが解決されるまで考えて、必要に応じて質問し続ける傾向にあります。

 

腑に落ちないことを追求するのは、長所なのか短所なのかわかりません。

 

僕はこの長所と短所という言葉もあまり好きではありません。個性という便利な言葉で片付けられてしまう弱い言葉です。長所だと思っている点も、短所だと思っている点も、裏返せばどちらでも主張できます。

 

例えば「すぐに寝落ちてしまう」ことは短所ですか?ある人の視点に立てばそれは短所でしょう、ただ「不眠症で悩んでいる人がいる」以上、すぐに寝落ちてしまうことはすぐに寝れる長所ともいえます。

 

このように「長所と短所」はまるでコインの裏表のように、どちらがどちらでも主張できる一つの要素にすぎないと感じるのです。

 

話はそれましたが、一度疑問に思えばそれが解決するまでその物事は「疑問」以外の何でもないのです。

 

最近思うのは、これがHSPという「個性」なのだろうかということです。

 

先日、あることがきっかけでHSPについて調べていました。この時、このHSPという特性があまりに自分に当てはまることを知ったのです。

 

このHSPについては後日詳しいエントリーを投稿しますのでここでは割愛します。気になる人は調べてみるのもいいかもしれません。

 

僕は「あらゆることに刺激を受けすぎる人」なのでしょう。だからこそ自衛の目的で「ほとんどのものに興味を持たないよう努力している」のだと考えられます。

 

もうひとつ。

 

大切な人を深く想うことは、何も愛情だけではないということです。プラスの感情も当然大きく動きますが、好きであれば好きであるほど、大切であればあるほど、マイナスの感情も大きく動きます。

 

ひとつ発見したことは、このプラスもマイナスもまさに「表裏一体」であることです。好きだから怒鳴ります、しかし嫌いになる理由はないのです。

 

興味のない人、関係のない人にはとても冷酷です。自覚しています。ものすごく冷たいです。塩対応を超えています。

 

でも興味のある人、大切な人には時に「びっくりするくらいの執念」が働きます。なぜそこまでするの?本当は嫌いなの?と思えるほどです。

 

きっと思われていることでしょう。

 

でもいいんです、これが僕の愛情なんですから。

 

もっと話を戻しましょう。気なることはたくさんあります、31歳になる誕生日を目の前にして、たとえば効率の悪いレジ店員も、コンビニのイートインでタンを吐き捨てるおじいさんも、同じくイートインで思いっきりカルボナーラを食べながら酒を飲んで大声で独り言を放っているおじさんも。

 

気になると言えば気になります。それは決してプラスの気になり方ではありません、完全にマイナスの気になり方です。

 

そんなことを気にしていては、体がいくつあっても足りないと思っています。自分の中でも無駄なことだなぁっていつも思っています。

 

この誕生日を迎えれば何が変わるのだろう。僕は年齢がひとつ加算されるほかに何があるのか、毎年疑問を持ったまま31年が経過してしまうのです。

 

これは問題でしょう。解決するまで気になる正確なのに、だからこそ「興味がない」ことにしてそっとしておくのがベストと「勘違いしていることにしている」のだろうと思うと、自分に対する怒りがこみ上げてきます。

 

そうなんです。最近の悩みは「自分に対する怒り」なんです。

 

このウエイトが日に日に増していることを実感しています。これは大問題でしょう。自分を好きになれない人間が、誰かを好きになる、また誰かに好きでいてもらうことは不可能です。

 

なんとか自分を好きになる方法はないものか?そこで冷静になって考えればある発見があるのです。

 

何度も登場する「表裏一体」がここにも作用しています。嫌いなんかじゃない、これだけ自分に興味を持っている以上、自分は自分のことが好きなのではないか?

 

そうなんですよね。きっとそうなんです。興味がないわけじゃない、興味が無い事にしている。全て共通しているんです。これが僕の生き方?だとしたらとても「逃げ」に転じた姑息な生き方と感じます。

 

自分の生き方を第三者の視点から見てみれば、僕は暗闇に潜むゴキブリみたいなものかもしれません。

 

では「そうじゃない」と断言するにはどのような要素が必要でしょうか?

 

答えは「そうじゃない」と声に出すことでしょう。ではなぜそれができないのか。

 

 

 

 

 

お気づきでしょうか?同じポイントを何度も繰り返していますね。そうなんです、気持ちの持ちようというのはまさに、表裏一体コインのようにどちらでも捉えられることをどちらに捉えるのか、それだけのことです。

 

僕はこの記事を通じてネガティブな人、うつ病の人に「だから君の考え方も表を見るようにしていこう!」と言うつもりで書いているわけではありません。

 

もっと平たく言うと自分を構成している要素を文字に転写することが部分的に可能か、もし可能ならそれがどのように自分の心境を整理するために作用するのか、さらに「見ていただける環境」にわざわざこんな閲覧数が落ちそうな(言っちゃった)記事を投稿しているのか。

 

まとまってきました。

 

言葉の力は素晴らしい。話がすぐに脱線するのは、自分の中の溢れるエネルギーがこの記事に注がれるためです。ご迷惑をおかけしております。

 

僕は別に自分が病んでいるとか、冒頭で注意書きとして起こした「闇」を持っているとか、それを公開してどうしたいとか、そんな狭い範囲でどうこう自分を誇張するつもりはありません。

 

僕が病んでいようと、読者様には一ミリも関係ないはずですから。

 

でも、こうして僕がここで訴えたいこと、それは「この散らばったピースの中に読者様の答えを見つけていただけるキッカケになるのでは?」と考えているからです。

 

聡明な読者様、まるでこの出来そこなったミステリー小説のような、そんな記事に何を見出していただけますか?

 

つまらない?それも感動でしょう。

面倒な奴だ?それも感動でしょう。

 

僕は心を動かしたい。広い世界の中、たった一人でいい、心を動かしたいんです。そのために、たとえば「つまらない」と思うあなたの心の動きさえも、僕にとっては嬉しいと感じられる。

 

僕の愛情は、そういうものなんです。

 

読んでますか?

 

この記事を一番読んでほしい人は、こういう長文が嫌いな人です。

 

知っていて書いています、僕は相当、へその曲がった人間だと思います。でも、それでもきっとその人は、ここにたどり着いています。「長いわ、だるいわ」と頭の中に文句を抱えながら、それでも読み進めてくれるのです。

 

そして僕の答えにたどり着くのです。

 

または「この記事は何を言いたいの?」と直接聞いてくるかもしれません。

 

僕は間違いなく、あなたのことを愛しています。

 

そして読者様のことも本当に愛しています。感謝しています。

 

アイのベクトルは違えど、僕は自分に矢印を向ける人を愛しく感じるのです。そして、こちらから矢印が向く先は限られています、LINEの返事が遅くても好きな人にしか返事はしません。電話にでなくても、好きな人のことは忘れていません。

 

僕は、このブログを通じて伝えたい。

 

僕は僕を変えていきたいこと、31歳になっても100歳まで挑戦できる人であり続けること、僕は誓っている。

 

「やってみますのDaichiである」ことを、これからも忘れない。

 

嘘をつく、取り乱す、失敗もする、後悔もする、だけど僕は見失わない。

 

 

ごめん。

 

 

好きだ。